2011年07月07日

上総にて里見義尭・義弘親子台頭

小弓公方義明が滅亡した房総半島

北条氏、里見氏が真里谷武田一族内乱に加わる

義明の滅亡によって上総では真里谷武田氏を巡る内紛は深刻さを増し権威を失った真里谷武田信応は北条氏・武田信隆と再び対立(武田信保入道恕鑑)の死後 庶子長男の信隆に北条氏、嫡子の信応は小弓公方が介入し家督を巡って対立状態に有りました。安房に逃れた里見義堯も武田一族の内乱に乗じて上総に侵略します。

北条氏康、房総半島に君臨する

北条氏は上総に進攻し、武田信隆を上総椎津城(市原市)に復帰させます。笹子城・中尾城(木更津市)をめぐる内乱によって、北条氏の攻撃を招くことになります。


北条氏の小田原城
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安房に逃れた里見義尭は正木氏、庁南武田氏、土気・東金の酒井氏や義尭の妻実家万喜(夷隅町)の土岐氏ら北条氏に対抗する勢力を結集すると同時に真里谷武田氏の内紛に関与し里見義尭は上総に領土の拡大を図ります。そうして丸山石堂寺にて義明の子を守る小弓公方の家臣や旧義明方武将らの勢力基盤を借り上総進出の足掛りをつくります。

小弓公方の子供たちが匿われていた安房の国丸山町石堂寺
鎌倉時代に栄えた(丸氏)一族菩提寺 石堂寺里見義堯縁の多宝塔
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義明の子供たちは石堂寺にて育ちました。
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真里谷武田氏の内乱に乗じて、上総入り、天文十年代の中頃には久留里城主勝左近真勝の娘を側室に向えて義尭は安房滝田城より拠点を移し久留里や佐貫(富津市)に勢力を拡大して行きます。

久留里城
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東上総でも里見氏とは同盟で姻戚関係にある正木氏が天津や勝浦・小田喜などの真里谷武田氏の支配地を次々落としました。天文11年(1542)には正木時忠が勝浦を傘下に治めます。その後正木時茂が小田喜を落として真里谷武田氏が治めた東上総侵略すると長狭・夷隅に正木氏は里見氏とは独立した立場で、この地域を武田氏に変わり支配します。


 国府台で義明に戦勝した北条氏も椎津城に入れた武田信隆を足掛かりに下総から上総へと進出をはじめます。北条氏は東京湾沿岸の内房正木氏や上総湊川流域の武田氏勢力を動かし房総半島を巡る海上交易や海上路の確保にあたります。里見氏も是に対抗する策として常陸佐竹義昭や上杉憲政・長尾影虎らと同盟を結び北条氏康に対抗して行きます。

里見氏は東京湾沿岸で海上交通路を巡る戦で北条氏と争う
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玉縄城主・猛将北条綱成が久留里城を攻める


永禄三年(1560)北条氏康は玉縄城主猛将北条綱成率いる大軍勢を房総半島に侵攻させ里見義堯の久留里城が攻められます。この事態を回避させる策として正木時茂が越後の景虎に急使を送り援兵を要請します。これを受けて景虎は関東に出陣し、同永禄3年(1560年)関東へ侵攻し、厩橋城・沼田城・岩下城・那波城など上野国の北条方の諸城を次々と攻略し、関東一円の大名や豪族さらには一部の奥州南部の豪族も争いに参陣、9月に入り河越岩下・沼田の北条方の諸城が攻めらると、氏康は上総の里見義堯の本拠地・久留里城の包囲をといて氏康は武蔵河越へ退却します。上杉氏の同盟よって里見義尭は救われ久留里城の危機は去りました。

久留里城天守閣から望む  (堅固な城に救われた里見義尭)
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越後上杉兼信、関東に出陣し小田原城北条氏攻める

永禄三〜四年(1560〜61)越後上杉兼信は幕府将軍より関東に於ける管領としての任命を受け上杉兼信は関東管領家に臣従していた長野業正、小山秀綱、小田氏治、那須資胤、佐竹義重、太田資正、三田綱秀、成田長泰らを従え北条氏の小田原攻めしました。その際に関東の武将で謙信が最も信頼を置く岩付城主大田資正に二男政景と共に先鋒を務めさせ戦に向います。関東で北条氏に反感を持つ諸大名は打倒北条を掲げて、上杉景虎の元に結集して小田原城に挑みます。

小田原城
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上総からは同盟関係を結ぶ里見義堯は子息里見義弘を房総半島の大将として里見方の軍勢も合流し参戦しました。これに対して北条氏政は関東に於ける前線基地のある利根川や多摩川での防衛戦略を断念し小田原城に如き下がる事になります。謙信の軍勢は総勢10万を超える軍勢で城を囲みます。

難攻不落な城を守る小田原城のお堀
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小田原城

北条氏康・氏政親子は長期戦の籠城を決め込み、小田原城は、攻め手を拒み連合軍は城を落とせず上杉謙信は、攻城をあきらめ包囲を解くと鎌倉へ向かい途中に上杉謙信は玉縄城にも立ち寄り警護な攻城をあきらめ包囲を解くと鎌倉へ向かい、鶴岡八幡宮において関東管領職並びに山内上杉家の家督を相続した。

鶴岡八幡宮
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戦国の恋

各武将らも祈願して鎌倉をさる最に里見義弘は若き頃に安房で知り合った足利義明の忘れ形見で初恋の人、鎌倉尼五山一位の太平寺に討ち入り尼になった青岳尼とともに本殿の御本尊である立観音を略奪し船にのり海を越へ、房総半島に連れ帰り還俗させて里見義弘の妻にする戦国時代にあった恋物語を演じることになります。此の出来ごとを知った、北条氏康は怒り尼五山の太平寺を取り壊すことになりました。此の後に房総半島に渡った観音様は鎌倉の東慶寺に返され現存して現在でも北鎌倉の東慶寺で拝観出来ます。


鎌倉東慶寺
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義弘・青岳尼が房総に持ち帰った、尼五山の太平寺御本尊観音様が宝物殿にて拝観出来ます。
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