2011年02月19日

房総半島・戦国内乱

関東内乱・房総半島戦国時代 歴史シリーズ(11)

足利成氏鎌倉を追われる

享徳3年(1454年)、足利成氏方、結城成朝、武田信長右馬助、里見義実民部少輔、印東式部少輔らが鎌倉御所にて襲い上杉憲忠誅伐事件が勃発します。翌年に上杉一族が打倒・成氏を掲げ、扇谷上杉持朝の連合軍は鎌倉御所を攻め滅ぼそうと出陣しますが御所を守る武田信長に遭遇して大将上杉持朝は相模国島河原(平塚市)にて大敗してしまいます。

扇谷上杉の所領相模の国禅秀の乱以前は土屋氏の所領でした。
相模の国平塚から富士を望む
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相模国島河原から武蔵国分倍河原合戦と戦は拡大
事態を知った持朝の子扇谷上杉家当主の顕房・長尾景仲は武蔵府中の分倍河原や高幡に軍を集結して戦に臨見ますが、武勇優れる成氏方武将の前に犬懸上杉禅秀の子憲顕は高幡で敗れてしまいます。扇谷上杉持朝の子顕房は武蔵由井(八王子)に追われ自害し果てます。そして武蔵守護山内上杉氏守護代大石氏一族の重仲も戦死します。成氏軍は分倍河原合戦に勝利した後に関東で公方に対抗する上杉勢を攻め立て成氏は自ら小栗城攻め落城させ下野に進軍し各地で善戦を治める最中に、幕府から派遣された1455年(康正1)今川範忠幕府軍が鎌倉を陥落させます。

古河公方誕生足利成氏
幕府追討軍の鎌倉攻めを知った成氏は鎌倉へ戻ることを諦め、下総国古河(現茨城県古河市)に布陣します。此の出来事により下野国・常陸国・下総国・上総国・安房国が古河公方足利成氏を支える豪族諸将の勢力圏となり、房総半島では上総武田氏、千葉一族(馬加系)原氏、安房里見氏、下総梁田氏が半島を支配するようになります。一大勢力を増した成氏は、幕府より関東統治のために派遣された、伊豆の堀越公方足利政知(将軍義政の弟)や両上杉一族との争いにも立ち向かう体制が敷かれる様になります。

鶴岡八幡宮 鎌倉を幕府軍今川らに占拠され成氏、古河に退く
鶴岡八幡宮P1030596.JPG

posted by キミジィ at 17:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国古河公方成氏(11)