2010年11月18日

馬来田大国は古代より自然と水が豊かな地域でした。「歴史シリーズから」観光ガイド

久留里1000年の森、

周辺観光ガイド 歴史シリ―ズ(1)

この地方は、自然豊かな森に育まれた水の郷で、古代から歴史、文化などの伝承が数多くあり歴史の宝庫でもあります。昔から伝わる伝承の一つに日本武尊が、天皇の命により、鹿野山を拠点として猛威をふるっていた阿久留王を征伐するため、東国へ下ったと言われる伝承まであります。また久留里の呼び名は、阿久留王の名前から由来すると言われる伝承もあります。



ヤマトタケルの尊、房総上陸

この伝承の中で途中、相模の国から上総に渡ろうとして、三浦半島走水の海上にさしかかったとき、暴風雨に遭遇し、船は先に進めなくなりました。このとき、妃の弟橘比売命が、波風の平穏を海神に祈りながら海中に身を投じたところ、海は静まり尊は無事上総国にたどり着きました。

相模湾から房総半島を望む

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<strong>阿久留王は領民思いであった

阿久留王を征討して領民を安住させたと伝承があります。上総地方での言い伝えでは、阿久留王は鬼の様な人物ではなく、住民のことを思う、文武両道に大変に優れた豪族であったと伝えられている。
阿久留王の伝承は、この地方では今も語り継がれており、神野寺では、阿久留王を祭る「阿久留王塚は鉄の神」鉄工にたずさわる人が、お参りしているようです。毎月十三日に法要が行われていると説明書きがありました。一方の尊伝承は木更津市内の太田山にあり、征討軍の本陣である伝承から君さらずタワーが作られて、ヤマトタケルと橘比売命姫の銅像は観光に来られる人々を和ませます。太田山は昔から恋の森と呼ばれ、桜の名所として、親しまれております




関東古代の馬来田大国 久留里地方

古代には、茨城国造の祖とされる建許呂命の子の深河意弥命が馬来田国造に定められ望陀郡(まくだのこおり・もうだぐん)は上総国の小櫃川流域を中心とする地域に存在していた郡であり昔から水が豊かで農作物にも恵まれ自然豊かな地域であります。小櫃川流域は,古墳群が点在し大型古墳も多い地域である。古代より歴史の豊かさを感じる地域でもあります。戸崎より小櫃川流域
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久留里地方・古墳群


小櫃川中流域にある古墳群、
戸崎古墳群、飯籠塚古墳、白山神社古墳、上新田古墳群、箕輪浅間神社古墳、

馬来田国造の首長系の大型の古墳群
高柳銚子塚古墳、長須賀丸山古墳、金鈴塚古墳,稲荷森古墳,祇園大塚古墳などで
4世紀〜6世紀時代の古墳が多く見られます。


成武天皇の時代、深河意弥命が国造に定める馬来田王国は君津市北部、木更津市、袖ヶ浦市、と思われます。

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川を利用した交通で栄えた。久留里地方

古代から房総半島は海上交通に恵まれた土地で同時に海上の要衝と交流文化圏の集積地など内陸部へ海産物など川を利用して運搬 中世から近世まで海上交通路が栄えると共に川の交通路整備による船拍輸送が確立し同時に陸上では馬車 牛荷車などの輸送体制が充実され、房総半島の中心部にある久留里地方は河川を利用した経済の発展がありました。

この河を行き交う船を連想すると古き良き時代がよみがえって来るようです
カヌーに乗って川を探索して見たい気分になりました。

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