2011年03月08日

久留里1000年の森から久留里地方歴史観光ガイド 鎌足生誕伝説

久留里1000年の森 藤原鎌足の里 周辺観光ガイド 歴史シリ―ズ (ナンバー3)


久留里の森から木更津方面に車で15分くらいの場所に「藤原鎌足の里」


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どっしり落ち着いた観音堂に修復され、驚きました。
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まっすぐに立つ杉いつ見ても素晴らしい鎌足杉
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 平野山高蔵寺「鎌足ゆかり寺」この地域には上総アカデミヤパークがあります。

藤原鎌足が650年に構建したとされる。本尊は正観世音菩薩で、天平年間の僧行基の作。現在の本堂は1526年に再建されました。本尊(高倉観音)の正観世音菩薩は鎌足誕生に由来して祭られています。そして、木更津の矢那は藤原鎌足ゆかりの地という伝説があるところです。

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高倉観音藤原鎌足ゆかり立て札
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昔は鎌足村が存在しましたが、現在は木更津市かずさ鎌足町となり藤原鎌足が生まれた地だという事が「君津郡誌」などに紹介されております。
以前は基礎に当たる所が自然石でごろごろした石が土台になっていたので、地震で倒壊したら大変だと思って帰りましたが、現在はコンクリートで基礎が修復され心配も無くなりました。

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また矢那川ダム周辺では現在、有志の皆様が鎌足桜を咲かせる運動を実施しております。


(大化の改新)

奈良時代末期、豪族・蘇我氏の支配を排斥し、天皇を中心とする国の政冶改革を決断した中大兄皇子と中臣鎌足は645「皇極4年6月」、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を謀殺した。
父親蘇我蝦夷も自害し、ここに飛鳥時代の独裁体制は敗れ蘇我氏の宗家は滅びました。
中大兄皇子は孝徳天皇を立て皇太子となり左大臣には阿倍倉梯内麻呂・右大臣は蘇我倉山田石川麻呂にし、中臣鎌足を内臣「藤原鎌足」とした、改新政府を樹立させました。



飛鳥時代に中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を倒す会談を重ね大化の 改新が始まりました。   奈良談山神社
談山神社130段の石段を登りきって左側を見ると談山神社の十三重塔。678年に藤原定彗と藤原不比等の兄弟が、父である藤原鎌足を祀るために建立した建物です。現存している建物は室町時代の1532年に再建されたもので国の重要文化財に指定されています。木造建築で十三重塔としては世界唯一の建築物であります。

秋の紅葉の時期には、紅葉と十三重塔に人々が集い、真っ赤に色づく紅葉を見に訪れます。
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奈良春日大社は鎌足ゆかりの神社
主神は常陸の国鹿島神宮(現茨城県鹿島郡)から白い神鹿に乗って飛んで来た、武甕槌命(たけのみかづちのみこと)。奈良の鹿はその神鹿の子孫という伝説があり神鹿であるとされ、この神様は鹿島出身の中臣鎌足の家の祭神とされます。春日大社は自らの繁栄を祈った神で藤原家の他に下総国香取神宮(千葉県佐原市)から迎えられた経津主命(ふつぬしのみこと)。河内国枚岡神社(現大阪府東大阪市)からの天児屋根命、少し遅れて鎮座した比売神。併せて4神です。鎌足の出生には色々と伝承がありますが、いまだ謎に包まれております。


本殿の回廊を見ると釣り燈篭、すごい数で合わせると全体で3,000基以上あるそうです。
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春日大社の入口付近撮影
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平城宮の朱雀門 平城京の入り口である羅城門をくぐりますと75mもの幅をもつ朱雀大路が まっすぐ北に向かってのびていました。そしてその4km先には平城宮の正門である朱雀門 が建っていたのです


鎌足の子 藤原不比等と持統天皇ー平城京創建にあたり大きな役割はたしました。
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