2011年02月23日

久留里地方歴史観光ガイド  歴史 大友皇子伝承


(飛鳥時代を彷彿させる久留里地方)観光ガイド      
       久留里歴史シリーズ(ナンバー4)

この地方の伝承には672年7月23日,天智天皇「中大兄皇子」の子大友皇子は壬申の乱で天智天皇の弟大海人皇子と天皇の座を争って敗れました。大友皇子と蘇我赤兄や蘇我大飯一行は都から逃れ千葉に上陸し、君津俵田に天武二年に小川宮と称する館を築城し穏な日々を過して居りました。
その後、大友皇子の所在を知った天武天皇は二万からなる派兵を差し向けます。大友皇子方もこれを迎え撃つが敗れて、逃れ田原御所付近の地蔵堂で自決した伝承があります。皇子の遺骸は、小櫃に納められ、霊を鎮めるために城山(白山神社の裏手の小山)に葬られました。

小櫃末吉地区にある末吉神社には、大友皇子に従ってきた蘇我赤兄が祀られています。この地方には皇子に纏わる伝承は沢山あります。


天武天皇9年(680年)11月12日条には、天武天皇(大海人皇子)が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立計画をたて着工するが、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没しました。持統天皇が継続し文武天皇に引き継がれ完成にいたります。

薬師寺金堂
奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに 法相宗の大本山である。

奈良薬師寺jp.jpeg


持統天皇(鵜野讃良うののさらら)の父は天智天皇であり、大友皇子は兄弟で、夫は父親天智天皇の実弟の天武天皇(大海人皇子)。この時代はこうした近親結婚が非常に多いですね。そして中臣鎌足の子藤原不比等も天智天皇から授かった子でもあり持統天皇の兄弟でもありました。
藤原京を天武天皇や持統天皇が一生懸命作った事が頷けますね。

薬師寺西塔 

奈良薬師寺西塔jp.jpeg



薬師寺は、藤原京の右京八条三坊の地にあった。大和三山の畝傍山と香久山の中間にあたる橿原市城殿町から移築されたそうです。
 

薬師寺回廊  
薬師寺回廊jp.jpeg